ゆきて帰りし道で

映画と、児童文学と、絵本 etc.

他ブログから引っ越してきました。 まだ体裁やリンクが不完全です。内部リンク切れしています。

本(評論・解説・エッセイ)

「児童文学の旅」
石井桃子
岩波書店



雑誌「ミセス」2008年3月号 特集「石井桃子の宇宙」
から知ったんだったか、石井さんの『児童文学の旅』の本、読みたいと思って、達せられました。
読むのも長いことかかったし、なかなか感想を書けず、きちんとした書評になりません。

人もたくさんでてきて、名前もなかなか把握して読みすすめられません。

とにかく、読み応えがあって、石井さんて、すごい人だなと圧倒されます。

1950年代に船でアメリカへ留学。
それをはじめとして、何度も、海外へ。
児童文学にかかわる人、図書館員、作家さん、さまさまな人との交流。

『児童文学論』(参考:HPの『児童文学論』の感想)の、リリアン・H・スミスさんともたいそう仲が良くて、
その他有名な人たちともすぐ仲良くなってしまうみたいに思えて、
なんてすごいんだろうと思います。


『ミセス』に載っていた、トロント公共図書館の「少年少女の家」の書架じゃないか、って言っていた写真も載っていました!
「「少年少女の家」提供」(p.107)
と書いています。
同じく少年少女の家の「オズボーン・コレクション室」にての写真もありました(p.332)

老いたスミスさんのそばにいながら、
おかしなエピソードを「児童文学論」の共訳者の瀬田貞二さんと渡辺茂男さんに話そうと思っていたいたとあり、しかし、
「お話するまえに瀬田さんは亡くなった。」(p.339)
と書いてあって、しんみりしてしまいました。

たくさんの、児童文学ゆかりの地も訪れています。
心にとまったこと、書きたいこともたくさんあるのですが、まとまりません。
どうぞ、ぜひ、機会があったら、この本読んでみてください。



(追記)
(参考記事:絵本「あまがさ」

『絵本論  - 瀬田貞二 子どもの本評論集 -』
瀬田貞二
福音館書店



絵本など読みながら(「100まんびきのねこ」「ジャンヌ・ダルク」「おやすみなさい おつきさま」 )この本のタイトル出していましたが、
こちら、やっと読みおえました。

分厚い本で、読み応えたっぷり。
評論集、一つ一つの評論や文を集めたもので、一冊の本として一続きで書かれたものではありません。

■子どもと絵本
思い出しながら書きますと、はじめの章は、子どもが絵本に出会うこと。良い絵本とは。
ディズニー絵本や中身のない絵本への批判。
個々の論文の集まりなので、そういう主題を集めたがために目に付くという点はあるが、
正直言って、瀬田さんは、いいところの人だな…という気持ちにもなる。
そんないい絵本を、たっぷりと読んでもらえなかった子どもはどうなるんだろう?

■『日本一ノ画噺』
『日本一ノ画噺』。瀬田さんが幼い頃に出会った昔の優れた絵本。

大阪の国際児童文学館が閉館の危機にあるというニュースで、『日本一ノ画噺』の話が出ていた。
参考サイト:「asahi.comのサイト(2008年4月26日)」より。
「大阪の児童文学館に廃止案 国内最多の70万点所蔵」という記事。
http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY200804260150.html)

「国会図書館にもない巌谷小波(いわや・さざなみ)の「日本一ノ画噺(えばなし)」(明治末~大正初)35冊の全揃(そろ)い」


そこを読み、『日本一ノ画噺』って、『絵本論』に出てた、と、気づく。
その箇所を探してみると、大人になってから瀬田さんが見せてもらったのは、
「鳥越信さんの書斎」(p.33)
であるとあった。

「四十歳をすぎて、私は蔵書家の友達の書庫でこの小型本にめぐりあったとき、記憶のなかの何ひとつそこなわれることなしに、手のひらにかくれるほどの小さな絵本は、もう一度鮮やかな印象をよみがえらせてくれました。そしていま大人の目で意地わるく見なおしても、半世紀以上経過してなお、りっぱにわかりやすく美しいのです。イギリスでしたら代々の古典として今日の出版に残されて生きるでしょうが、わが国での不遇が残念でなりません。」(p.81)


国際児童文学館は鳥越さんが寄贈したのがはじまりで出来たそうです。
『日本一ノ画噺』も鳥越さんが寄贈したものかまでは知りませんが、
瀬田さんが絶賛したこの絵本が、全巻そろっている文学館が、廃止されるそうですね。
廃止されたからといって、本までがなくなるわけではないけれど(移設される?)…。

ちょうど廃館のニュースのときに、この『日本一ノ画噺』について瀬田さんの絶賛の言葉を読んだものだからよけい、気になるゆくえです。


■もうひとつ、この本を読みたいと思ったことの理由。『三びきのくま』
昔話の『三びきのくま』(参考書籍:HPの『3匹のくま』の感想
について『絵本論』に載っていて、吉田新一さんの『イギリス児童文学論』(参考:HPの『イギリス児童文学論』記述) との関連もあると、
以下のサイトで知ったことから。
参考サイト:歌代和正さんのサイト 「Perl5 デスクトップリファレンス監訳者あとがき」のページ
http://www.srekcah.org/~utashiro/docs/perl5ref-3/atogaki.html)


ここを読み、いつか『絵本論』のその箇所を読みたいと思った。

「たくさんの熊」(p.147)という論文。
『三びきのくま』を瀬田さんが、
「すぐれた昔話だとおもってい」(p.147)
たこと。
なのにハーバート・リードの『散文論』を読み、そこではサウジーの作となっていて
「シャッポをぬぎました」(p.147)
、とある。
ところが、サウジー作というのは本当は違い、サウジーの創作ではなくてやはり昔話なのであるということが、「注」(p.534)にでている。

この論文は「初出一覧」(p.543)によると、1958年に『こどものとも』に載ったが、
のちに、昔話であることを瀬田さんが知っていて編集部がそれを聞いていた。

吉田新一さんの『イギリス児童文学論』には、なぜ『三びきのくま』はサウジー創作という説があったかが書かれているのだが、
瀬田さんが「たくさんの熊」を書いた時点では創作と書いていることの説明として、その部分がこちら『絵本論』の「注」(p.534)に引用されている(ややこしい)。

ジェイコブズが創作でなく昔話であることを解説しなおしたにもかかわらず、前の説が一般に通っていて、リードがその説を書いたのだという。

今回やっと『絵本論』を読むことができ、この箇所も実際に確認することができた。嬉しい。



(追記)
関連記事:TV「美の壷 レトロな絵本」(雑誌「コドモノクニ」や、初山滋さん、武井武雄さん、岡本帰一さんのこと)

「ヴァージニア・リー・バートン  『ちいさいおうち』の作者の素顔」
バーバラ・エルマン/宮城正枝 訳
岩波書店



『名馬キャリコ』『せいめいのれきし』の、バージニア・リー・バートンについて、こんな本があったので、読んでみました。
「『ちいさいおうち』日本語版50年記念」として、翻訳された本のようです。

『ちいさいおうち』も読んでない私だけど、これ、とっても読み応えのある本でした。
バートンの素顔がかいまみれる、素描や写真、家族のこと、デザインの活動や、ほかの人の作品につけた絵についてなどなど、盛りだくさん。

バートンは、ダンスもできるし、家族への愛情や配慮も深く、知人たちとのパーティでも魅力あふれています。また、地域のデザインの活動、そしてもちろん、絵本へ傾ける情熱と粘り強い研究の努力。
どれをとっても、すばらしい人だという感じをうけます。最初は、ちょっとできすぎて、しんどいな…と思う向きも感じつつ読んでいました。
『せいめいのれきし』のラストでも感じたような、未来へ暖かな希望を見ることができる人…。

でも、バージニアにもいろいろあったのです。母との複雑な関係もあったし。

「息子アリスは、母ジニーを「近代女性の模範」と呼ぶ。バートンは二人のやんちゃな(彼の言葉だが)息子を育て,男性優位を信じる男性と結婚し,二つのキャリアを追求した。現在のように時間を節約するための家電製品もない1930年代後半から40年代初めに,しかも職業を持つ女性などほとんどいなかった時代に,である。彼女は,彼の言葉をかりれば「ただただ驚異的」だった。」
(p.122)

ふーむ。バージニアと結婚したジョージ・デメトリアスはギリシア移民で、やはり美術家なんですが、
「家父長意識の強いギリシア男で、妻が稼ぎ手になることに敏感に反応した」
(p.88)
とあります。
もちろん、二人はひかれあっていたんです。才能も認め合ってたでしょう。
(この本を読む限り、男性優位を信じる…などと書かれている箇所以外の文面を読んでいると、そうとは思えないほど、ジョージは理解ありそうだし、パーティもあるし家族も楽しくすばらしく思えました。)
けどバージニアも、ただ特別に恵まれた立場にいたというわけではなかったんですね…。
それなのに、美術や、他の面、家族へのふるまいや人格でも、すばらしい魅力を発揮した。

この本のなかに載っている、フォリーコーブ・デザイナーズという、デザインの活動の中での作品でしょうか? 「時間たちのダンス」という絵というか、リノリウム原版から刷られたもの?が好きです。踊り子たちの絵が連続して輪になり時計のようになっていたと思います。(思い出しながら。)
バージニアの絵って、どこか繰り返しの要素があるんですね。
『ちいさいおうち』を挙げたところの説明に、楕円形が広がっていくことが書かれていました。
ほんとにそうだ。楕円というか、まるい曲線が続いていく。
『せいめいのれきし』でも木の枝とか、続き模様みたいな、そんな感じもしたかな、って思い出しています。
そしてまた、「ブランコの木」というモチーフは、いろいろな作品にあらわれているらしいです。

アン・マルコムソンという人の編の、『ロビンフッドの歌』
古い歌の旋律などが載っている本だろうか? その本の絵をバージニアが描いている。
これ、見たみたい!! とってもすばらしい絵。日本語版はでていないのかなあ。
出してほしい!

『名馬キャリコ』。これは、漫画というものを意識し、研究した、少し実験的な作品として紹介されている。
でもわたしは、自分なりだが、興味あることをここで発見した。

悪漢の名前は、「すごみやスチンカー」。スチンカーとは「臭い奴」という意味らしい。
以前、あれ?と思っていたのは、『指輪物語』でゴクリのことを、「Stinker」ってサムが表現していますよね?
あれ?似てる名前、って思っていました。瀬田さん訳ということもあるし。

そして今回、この本を読んで、このスチンカーは、(バートンの案ではスチンカーだったものの)
はじめはスリンカーと言う名前で出版された(1941年)ということを知りました。
(1950年に書き直した際に、スチンカーに戻して出版された。)
ということで、<スチンカー>は出版の事情とはいえ、<スリンカー>でもあったのです。

面白い。不思議な縁です。
だって、サムは「Slinker and Stinker」でしたっけ?「「こそつき」に「くさいの」」って言っていたんですよね。



(追記)
『ちいさいおうち』読みました


(追記2)
関連記事(参考:『ビュンビュンきしゃをぬく』


(追記3)
関連記事(参考:『雑誌「月刊MOE」2009年9月号 特集「ちいさいおうちとアメリカ黄金期の絵本」』

「アーサー王伝説紀行 神秘の城を求めて」
加藤恭子
中公新書



「映画キング・アーサー公開記念!! 関連書フェア」
という帯がついていたのを、買っておいていたのを読みました。

サトクリフの『ともしびをかかげて』にでてきたアンブロシウス・アウレリアヌスの名前もでてきた。
アルトスも。

(参考:HPの、サトクリフ『夜明けの風』の感想より『ともしびをかかげて』について

そうか、あのサトクリフの『ともしびをかかげて』ではアルトスがあんなにきらきら輝いている人のように描かれていたのは、やはり彼が<アーサー>だったから、ということ?

わたし、アンブロシウスもすきだったんだけどな~。
そのときはあんまりアーサー王のこと知らなくて、
「アンブロシウスがアーサー王の原型」と『ともしびをかかげて』のあとがきか注釈かなにかで書かれていたのを見て、びっくりして、アーサーって、アンブロシウスがモデルなのかぁ…と思ったんだけど。
ではどうしてアルトスが輝いているのかなあ…?って。
(記憶の中で思い出して書いているので、勘違いしているかもしれないけれど。)


 


「今日のウェイルズに六世紀末頃住んでいたブリトン人の詩人アナイアリンが、六〇〇年頃に『ゴドディン』という英雄詩を書いたが、そこには確かにアーサーの名が出てくる。」
(p.19)


とあった。
へえ~。そうなのか。
(そこを読んでいると、どうも、アーサーがでてくるんじゃなくて、ある英雄がでてきて、彼のことについて
「だが彼はアーサーほどではなかったが」(p.19)
という言い方をされている、というように思われた。
それは、アーサー、という人物が前提になっている、ということを表しているわけだ)

サトクリフが『ゴドディン』をもとに書き上げた『アネイリンの歌 ケルトの戦の物語』を読んだけど、そこにもアーサーの名前出てきていただろうか?
(参考:HPの『アネイリンの歌 ケルトの戦の物語』の感想

「加古里子 絵本への道 - 遊びの世界から科学の絵本へ -」
加古里子
福音館書店




加古さんの絵本は、まだ読んだことがない。

加古さんは、『絵かき遊び考』という本をだされたそうですね。
(絵描き遊びとは、へのへのもへじ、とかの。)
以前、新聞で、そのことに関連して、加古さんに取材した記事をみました。一部絵描き遊びの絵も載っていたと思います。

この『絵本への道』にも、絵描き遊びのことが載っていました。

また、紙芝居や、絵本の表現について、いろいろ加古さんの考えが載っていて、興味深かった。

『あなたのいえわたしのいえ』の意図の一つは、今あなたが住んでいる所が家なんだよ、立派な家なんだよ、ということをはっきりのべようということでした。家が主軸の本ではあっても、家の建て方とか歴史とかはのべませんでした。(中略)建築の歴史を描くならば別の本にしようと思いました。家を作ってそこに住むことの必要性を知ってもらいたかったからです。
(p.115-116)


このように、何かひとつテーマをきめたら、それを貫いてかく、ということを、ほかの絵本でも主眼においておられるように思えました。
科学絵本で、太陽なら太陽でも、いろんなとらえ方があるわけです。


また、上記の『あなたのいえわたしのいえ』が出た当時は、まだ風呂や台所もない家に住んでいる子どももいた。

自分の住んでいる所には、台所もトイレもない子どもに、家の条件としてそれらを記述すればどう思うかを考えました。(中略)屋根と壁と窓と出入口と床があれば立派な家なんだよ、ということをこの本ではのべることにしました。
(p.116)

と書かれていたことが、心にとまりました。

↑このページのトップヘ