ゆきて帰りし道で

映画と、児童文学と、絵本 etc.

他ブログから引っ越してきました。 まだ体裁やリンクが不完全です。内部リンク切れしています。

瀬田貞二さん関連

今日は、Tolkien Writing Dayの企画に参加させていただき、この記事を書いています。

トールキンアドベントカレンダー2017 バナー この記事は、トールキン Advent Calendar 2017の23日目の記事です。


今回は、トールキンそのものについてのテーマは書くことができませんでした。

主催者様のご厚意により、直接トールキンと関係なくても、トールキンの世界を知りたい深めたいという趣旨であれば可能というお言葉をいただき、今期自分なりに気づいたことを記したいと思います。

そもそもの発端は、ツイッターでゴラムの絵を描いたこと。

「バキンズ」の題目にそって絵を考えていた時、ふと【ビルボの情け】の場面の叫ぶゴラムの絵にしようとしました。あの場面のセリフはどうだったか。本を確かめてみます。

「どろぼう、どろぼう、どろぼうう! バギンズめ!にくむ、にくむ、いつまでも、にくむう!」

原書も見てみます。

「Thief, thief, thief! Baggins! We hates it, we hates it, we hates it forever!」※※

原書の記述で最初に思ったことは、

【「どろぼうう」「にくむう」といったような書き方はされていないんだな。シンプル。】

といったことでした。

ところがふと、気づきます。

疑問点について

【ん? We hates って、何か変じゃない…?
 Weだから、sはつかないはずでは…。
 We hate じゃないのかな…?】

【sがつくということは、もしかしたら、「my preciouss」とかよく言うのと同じように、sss…と、なまってるのかな…?】

それにもう一つ。

I ではなくて、We なのは、 「わしら」だから、わかる。ゴラムはよく「わしら」という。 だからWeになるのだろう。だが、hate you ではなくて、hate it なのは…?
「おまえ」がにくい、んじゃなくて、 “Baggins”というもの、がにくいのだろうか…?】

そういえばゴラムはよく「my precious」といいますね? I ではなくてWeなのに、「わしら」なのに、「our precious」ではないのだろうか? その言い方はあまり聞かないような…。 いつも「my preciouss」と聞くような気がする。 なぜだろう?

今まで深くゴラムの言葉づかいを英語で考えたことはありませんでした。「いとしいしと」「my preciouss」と言うのだろうな、程度は分かっていましたが、それ以上は必要な時必要な個所を考えてみる程度です。

私たちの、はourだったよな?とか、 He She Weの場合の活用形は…など、とても久しぶりで思い出しました。

その時、ツイッターで相互フォローしていただいている
Koheluin (@Koheluin) さんが、ツイートしてくださいました。

さっそく答えをだしてくださりありがとうございます

やはり、ゴラム(ゴクリ)独自の言葉づかいからという意味みたいです。

改めて英文を見てみますと、「sss」 と言ったり、「is」を「iss」と言ったりしているもよう。

そこで、ひらめきました

【そうか! もしhateなら、瀬田さんは「にくむう」とはしなかったのかも…!】

【そうだ、きっと、だから、 「どろぼうう」「にくむう」なんだ!】

(と、その時、感じました!)

ゴクリの言葉づかいがああだから、それが訳に反映されてるんだ!。「thief」は単語として間違ったり言いよどんだりしていないにもかかわらず、「どろぼうう」としているのは、ゴラム独特の言葉づかいがあったから。この文章のみならずゴラムの人物描写を反映した今までのセリフも全部集約してのことなのだろうな、と感じました。

また、「it」についても、詳しく他の部分の英文を見れていませんが、他の部分でもゴラム独特の語法と見ることができそうです。

なので、先に書いた、
【「おまえ」がにくい、んじゃなくて、 “Baggins”というもの、がにくいのだろうか…?】
というのは考えすぎかもしれない、と思っていると…。

Koheluinさんの 「it 」についての考察をこちらに…

お、ゴラムの人格を裏付ける独特語法、というのみならず、ビルボを「it」として「食料」として見ているかもというご意見から、なんだか賛同して下さったかのように感じてしまいました 嬉しかったです。

さて、つらつら書きましたが、未熟ながらここに英語の原書のゴラムの言葉づかいを少し見ることができ、そこには彼の人物像が表れているのだな、ということを発見した次第です。そしてそれを的確に翻訳した瀬田貞二さんの技量に唸らされたことをここに記して、この記事を締めくくりたいと思います。

(最後にひとつ気づいたのは、『The Hobbit』 では何度か使われている「preciouss」 とsが2度続く言い方は、『The Lord of the Rings』ではあまり使われていないようですね? 少し不思議に思いました)


トールキン, J.R.R.『ホビットの冒険』. 瀬田貞二訳. 1979年10月23日第1刷発行 2000年8月18日新版第1刷 2012年11月15日新版第20刷. (p.177). 岩波書店(岩波少年文庫・上巻).

※※ Tolkien, J.R.R. The Hobbit or There and back again. 1999. (p.83). HarperCollins Publishers. Paperback edition.


謝辞

今回の投稿に際し、ご助言ご協力を賜り、また、転載・ツイート埋め込みの許可をくださいました
Koheluin様に、深く御礼申し上げます。この投稿はご協力があってはじめてできたものです。

また、Tolkien Writing Dayとトールキンアドベントカレンダーの主催者である
Sayawen様に、この機会を与えてくださったこと、投稿に関してご助言賜りましたこと、深く御礼申し上げます。

今日は、トールキン関連の本を紹介します。

紹介といっても、トールキンに興味があっていろいろ調べていらっしゃるかたは、もう日本で出版されている本はご存知かと思います。かといって絶版になっているレアな本を紹介しても、なかなか手に入れられないのはもどかしいですね。

関連本はいろいろ持っているのですが、積読本が多く、もっと読んでおいて知識がたくさんあればどんなにかよかっただろうと、今日この日を迎えながら思う次第です。

今日9月22日は、ビルボとフロドの誕生日とされていますね。

この日にあたり、2冊チョイスしました。1冊はどなたにもこの世界にひたって頂ける本、2冊目はもう絶版でレアですが、トールキンについてコンパクトにぎゅっと説明してくれる本です。


さて、まず1冊目をご紹介します。

『指輪物語「中つ国」のうた』 評論社 2004年2月初版

指輪物語 中つ国のうた の本

『指輪物語』の中には、たくさんの詩が出てきます。けれど、単独で読んでいても、わからない言葉や意味がたくさんあるのですね。その詩を取り出し、解説を加え、背景などを説明したものが、この本です。

アラン・リーの挿絵もついていて、眺めているだけでも美しい本です。

帯には、こう、評論社編集部による言葉が書かれています。

「『指輪物語』の読後、もう少し「中つ国」をさまよっていたい読者に、そして本編は長大すぎるとためらっている未読者に捧げる。」

まさに、これから『指輪物語』を読んでみたいと思っているかたにも、もうファンであられるかたにも、楽しんで頂ける本ではないかと思います。


2冊目です。

『週刊100人 歴史は彼らによってつくられた No.063 J・R・R・トールキン』 デアゴスティーニ・ジャパン 2004年8月

週刊100人 63号のムック本

週刊○○ で有名なデアゴスティーニからの、ムック本というのでしょうか。歴史をつくった100人の中にトールキンが入っているなんて、嬉しいではありませんか。(ちなみに、次の号はジャンヌ・ダルクです。) 誇らしい気分です。

その生涯についてのこと、言語や神話への興味、友人たちとの交流、出版にいたる道など、トールキンファンならご存知のことが書かれていますし、今はいろいろサイトなどで調べられるので目新しいものではないかもしれません。間違いなどがあるのかないのかも、私にはわかりません(一か所、誤植をみつけました)。ですが、きれいに写真が配置され脇にコラムなども入って組みたてられ1冊にまとまっているのを見ると楽しいです。古本で見つけられたら、ぜひお手にとってください。

内容について、気づきがあったこと。

ボロミアの角笛のシーンは、『ローランの歌』の角笛のシーンと、やはり重なるところがあるのですね!

『ローランの歌』を読んだ時、ボロミアの事を思い出したのと、「角笛を吹くと、助けがくる」というのは、ロビン・フッドの物語でもあるようだし、『カルル大帝伝』では角笛の超自然的な力、「角笛を吹くと、敵が恐怖にかられる」というモチーフもあるので、これはヘルムの角笛と通じるのでは、と思っていました。

過去の、『ローランの歌』の読書感想へ

テオドシウス1世の逸話が、指輪物語の源泉のひとつになっている、ということは知りませんでした。

「後世への余波」のページで展開される、「エブリディ・マジック」、「ハイ・ファンタジー」、「ヤングアダルト文学」についてのテーマは、興味深かったです。


今日は、Tolkien Writing Dayの企画に参加させていただき、この記事を書いています。

選択テーマは「おすすめ関連書籍の紹介」を選びました。

また機会がありましたら、今度は児童文学研究の中でトールキンが取り上げられているような本をご紹介できたらと思います。

「おなかのかわ」
瀬田貞二 再話/ 村山知義 絵
福音館書店





瀬田貞二さんの絵本。

絵、村山知義さんだ。

瀬田貞二 「再話」とあるから、なんだろう、昔話の再話だろうか、と思ってたら、
福音館書店の「こどものとも」のブログに、
「アメリカのブライアントのお話集から鈴木三重吉が訳した物語」

とあった。
それを絵本にするときに、瀬田さんが再話したみたい。

ブライアントのお話集、ってどんなだろう。昔話集だろか、オリジナル物語だろか?

わからないけど、昔話かどうかわからないから、カテゴリは未分類にしておきます。

ねことおうむが、ごちそうしあうんですよ。
でも、ねこはちょっとしか料理をくれない。
おうむはたくさんあげるけど、ねこは貪欲で、どんどん食べて、
おうむまで食べちゃう。

このときのねこの絵の、表情ったら。
口の片方がにっと上がっているのは、舌なめずりをしたせいかもしれないけど、
私には、にやっと笑っているようにみえるな。

あとは、ねこがどんどん食べるものが増えていって(おばあさん、馬方、ろば…)、
台詞も重なって増えていく、積み重ね歌みたいなお話。

村山さんの絵がいいわ。

おなかの中の、ぞうやへいたい、おうさまとおきさきさま…。

とにかく、この猫の絵。
くろい輪郭線がガタガタガタってなってて、
青い目で、うす茶色の毛色がうっすらついてる猫がとてもいいと思います。

黒い線のせいか、ちょっとステンドグラスみたいな感じもして、透明感がでてて。


「絵本/物語るイラストレーション」
吉田新一 著
日本エディタースクール出版部



吉田新一さんが、いままで絵本・イラストレーションのことを書いたものを集めた本です。

クラシック絵本の項では、ビリービンのことは出てなかったように思ったけど、(参照:ビリービンの「うるわしのワシリーサ」感想
後の方の項目では、名前、出ていました!
ル・カインの項目で、彼が親近感をもっていた画家たちの中にも名前が見えました。

物語るイラストレーション、というタイトルは?

コールデコットが取り入れたという、
「絵で物語を巧みに説明する方法」(p.16)

の解説が面白かった。
ビアトリクス・ポターも、その系譜を受け継いでいる。

マザー・グースの絵本では、
『バイ・ベイビー・バンティング』コールデコットが元の唄にない絵を付け加えている場面で、
「センダックは、子どもが自分の着ているオーバーが元は生きていたことを知ってショックを受けている場面と解していますが、ショックを受けているのはむしろウサギのほうかもしれません、」(p.136-137)

と書いておられて、また他の解釈もあると書いておられる。

コールデコットのこの絵本は読んでいないんですけど、
この場面は確か、瀬田貞二さんの『幼い子の文学』だったかで見ていて、
私は、センダックのようには感じなかった。
瀬田さんの文章を読みながらだったからかもしれないけど、もっと微笑ましいような、おかしいような。
ウサギがこんにちは、と言っている様子には、
残酷やショックというより、ギャップ。オチのような面白さと思っていた。

でも、センダックはすごいんだなあと、吉田さんの解説から思いました。
『わたしたちもジャックもガイもみんなホームレス』の絵本は、
二つの童謡を融合させているんですって。
それを絵で表現している。
 
 
ポップアップや、フリップを開く、しかけ絵本についての項もあります。
今はやりのサブダとかは出てなかったけど、
いろんな仕掛け絵本がある。

 
アリスの挿絵についての項も、面白かった。
1999年発行なので、今出ていたら、アリスブームでもっとこの項目、興味ひいたかもしれないですね。

「きつねのルナール」
レオポルド・ショヴォー 編/山脇百合子 訳・絵
福音館書店



12世紀後半からフランスで、何人もの人たちによって書かれたという「狐物語」
ルナールという名前のきつねが主人公で、
悪賢いきつねが起こす騒動や、当時の風習が描かれた、「動物叙事詩」ということです。

悪賢いルナール。
でも愛嬌もあるな、と思っていると…。
狼イザングランの弟、プリモ、なんとかわいそうな…。

それと、ただ、だましたり、食べ物をとったりするだけでなくて、
宗教のこと、でてくるでしょう。
ひやひやしました。そういうこと、していいのかな、って。

でも一番初めに、ルナール狐の数編を書いたのが、
ピエール・ド・サン=クルーという、おそらくキリスト教のお坊さんで、
あとの枝編をかいたのも、お坊さんたちであったろうということで、
それだけ、生活と信仰が密接だったフランス(そして時代)が現れているんだろうと思いました。

また、山脇さんは上智大学卒だそうで、キリスト教のこと、お詳しいのだろうか?と
訳文みて、ときどき思いました。


おんどりの「唄一」(うたいち)(p.38)とか、
からすの「サブロー」(p.50)。
ルナールの家は、「まる穴屋敷」(p.56)。
あれっ、この言葉の感覚は…。{/ひらめき/}
瀬田貞二さんの訳文に似ている。

きわめつけは…。

「考えているひまもあらばこそでした。」(p.61)

という文章、「あらばこそ」って、「名馬キャリコ」のところで書いたです。
あれを思い出して、山脇さん、瀬田さんの影響とか受けてるのかな?って思いました。


おおかみのイザングランがしっぽを無くす、氷の池の顛末。
イザングランは氷でちぎれたわけじゃないけど、こういう話、民話でなかったっけ?
サブローが口からチーズを落とすところ。「イソップ寓話集」にもあったような。

福本直之さんによる、「解説―ルナールと『狐物語』の履歴書」にも、
「物語の原型やモデルが存在する」(p.241)
と書かれてて、イソップ物語も挙がっていました。
この解説、狐物語を理解するのに、とても良い案内になりそうです{/ピカピカ/}


↑このページのトップヘ