ゆきて帰りし道で

映画と、児童文学と、絵本 etc.

他ブログから引っ越してきました。 まだ体裁やリンクが不完全です。内部リンク切れしています。

瀬田貞二さん関連

「ベスとアンガス」
マージョリー・フラック 作・絵/まさきるりこ 訳
アリス館



アンガスのシリーズは『アンガスとあひる』1冊しか読んでいないけど、福音館書店からでてて、訳は瀬田貞二さん。
(参考:HPの『アンガスとあひる』の感想

シリーズの、新しいのがでてると新聞でみて、図書館で見つけ読んでみた。
これは原著は1933年とあったけど、日本語訳ははじめて(?)
真新しい絵本で読めて嬉しいですね。
今度の訳は、まさきるりこさんで、出版社はアリス館とありました。

絵本を見ていて気づいたんですけど、
ふつう、絵本って、真ん中のひらいたところの絵はどうなっているんだろう?

これは、最初のほうを除いて、(真ん中にはちょうど絵がないようになっているけど)見開いた状態で一枚の絵になっている。
一枚の絵だけど、例えば左にはアンガスとベス、右にはあひる、など、
左右の対比やつながりを感じられるような。
でも最初の数枚は、左にひとつの場面の絵、右にも、というようになっている。

「ヴァージニア・リー・バートン  『ちいさいおうち』の作者の素顔」
バーバラ・エルマン/宮城正枝 訳
岩波書店



『名馬キャリコ』『せいめいのれきし』の、バージニア・リー・バートンについて、こんな本があったので、読んでみました。
「『ちいさいおうち』日本語版50年記念」として、翻訳された本のようです。

『ちいさいおうち』も読んでない私だけど、これ、とっても読み応えのある本でした。
バートンの素顔がかいまみれる、素描や写真、家族のこと、デザインの活動や、ほかの人の作品につけた絵についてなどなど、盛りだくさん。

バートンは、ダンスもできるし、家族への愛情や配慮も深く、知人たちとのパーティでも魅力あふれています。また、地域のデザインの活動、そしてもちろん、絵本へ傾ける情熱と粘り強い研究の努力。
どれをとっても、すばらしい人だという感じをうけます。最初は、ちょっとできすぎて、しんどいな…と思う向きも感じつつ読んでいました。
『せいめいのれきし』のラストでも感じたような、未来へ暖かな希望を見ることができる人…。

でも、バージニアにもいろいろあったのです。母との複雑な関係もあったし。

「息子アリスは、母ジニーを「近代女性の模範」と呼ぶ。バートンは二人のやんちゃな(彼の言葉だが)息子を育て,男性優位を信じる男性と結婚し,二つのキャリアを追求した。現在のように時間を節約するための家電製品もない1930年代後半から40年代初めに,しかも職業を持つ女性などほとんどいなかった時代に,である。彼女は,彼の言葉をかりれば「ただただ驚異的」だった。」
(p.122)

ふーむ。バージニアと結婚したジョージ・デメトリアスはギリシア移民で、やはり美術家なんですが、
「家父長意識の強いギリシア男で、妻が稼ぎ手になることに敏感に反応した」
(p.88)
とあります。
もちろん、二人はひかれあっていたんです。才能も認め合ってたでしょう。
(この本を読む限り、男性優位を信じる…などと書かれている箇所以外の文面を読んでいると、そうとは思えないほど、ジョージは理解ありそうだし、パーティもあるし家族も楽しくすばらしく思えました。)
けどバージニアも、ただ特別に恵まれた立場にいたというわけではなかったんですね…。
それなのに、美術や、他の面、家族へのふるまいや人格でも、すばらしい魅力を発揮した。

この本のなかに載っている、フォリーコーブ・デザイナーズという、デザインの活動の中での作品でしょうか? 「時間たちのダンス」という絵というか、リノリウム原版から刷られたもの?が好きです。踊り子たちの絵が連続して輪になり時計のようになっていたと思います。(思い出しながら。)
バージニアの絵って、どこか繰り返しの要素があるんですね。
『ちいさいおうち』を挙げたところの説明に、楕円形が広がっていくことが書かれていました。
ほんとにそうだ。楕円というか、まるい曲線が続いていく。
『せいめいのれきし』でも木の枝とか、続き模様みたいな、そんな感じもしたかな、って思い出しています。
そしてまた、「ブランコの木」というモチーフは、いろいろな作品にあらわれているらしいです。

アン・マルコムソンという人の編の、『ロビンフッドの歌』
古い歌の旋律などが載っている本だろうか? その本の絵をバージニアが描いている。
これ、見たみたい!! とってもすばらしい絵。日本語版はでていないのかなあ。
出してほしい!

『名馬キャリコ』。これは、漫画というものを意識し、研究した、少し実験的な作品として紹介されている。
でもわたしは、自分なりだが、興味あることをここで発見した。

悪漢の名前は、「すごみやスチンカー」。スチンカーとは「臭い奴」という意味らしい。
以前、あれ?と思っていたのは、『指輪物語』でゴクリのことを、「Stinker」ってサムが表現していますよね?
あれ?似てる名前、って思っていました。瀬田さん訳ということもあるし。

そして今回、この本を読んで、このスチンカーは、(バートンの案ではスチンカーだったものの)
はじめはスリンカーと言う名前で出版された(1941年)ということを知りました。
(1950年に書き直した際に、スチンカーに戻して出版された。)
ということで、<スチンカー>は出版の事情とはいえ、<スリンカー>でもあったのです。

面白い。不思議な縁です。
だって、サムは「Slinker and Stinker」でしたっけ?「「こそつき」に「くさいの」」って言っていたんですよね。



(追記)
『ちいさいおうち』読みました


(追記2)
関連記事(参考:『ビュンビュンきしゃをぬく』


(追記3)
関連記事(参考:『雑誌「月刊MOE」2009年9月号 特集「ちいさいおうちとアメリカ黄金期の絵本」』

「あふりかのたいこ」
瀬田貞二 作/寺島龍一 絵
福音館書店 こどものとも・傑作集




「お父さんのラッパばなし」の中に入っていたお話、だったように思う。
その時は、堀内誠一さんの絵だった。
このお話が、絵本になってて、寺島龍一さんの絵だと知って、
読んでみたく思った。

「いんぱらを まて」(p.13)

という言葉のひびきが好きです。


その前の
「けものを けす。どじんを にがせ。」
というのの、どじんを…というのが、なじめないけれど…。
というのは、どじんという言葉を使っていることもそうだけれど、
「さはり」が「どじん」をつれて、村に来て、タンボをやとったということなので、
タンボはさはりの人たちとは違うところの出身だから、
その人たちを逃がすということで、彼らを逃がす、ということを言っているんだろうけど、
いわば、自分たちの仲間の側の人たちですよね? だから、
なぜ、(<なかま>、はともかく、)
<かれら>とか、<さはりのおとも>、とか、そういう言い方じゃなくて、
どじん、と呼ぶのだろうな? とふしぎに思いました。

この絵本の最大のメッセージは、やはりこれかな。
「じゅうを てばなせ。
 けものに まじれ。
 いのちの みずを のんで、
 いのちに めをさませ」
(p.22)


でも、ボンポンの言ったこの言葉もいいですね。
大切なことに、気づいたら、案外素直なボンポン。

「ああ、みごとだ。うつくしいなあ。いのちの あるものは、いきて、うごいて、ちからづよい。どれ、わたしも みずを のみに いこう」
(p.25)


わたしものみにいこう、というのがいいじゃありませんか。

「よあけ」
ユリー・シュルヴィッツ 作・画/瀬田貞二 訳
福音館書店



「名馬キャリコ」のときに言ってた、「よあけ」読みました。
ふーむ…こういう絵本だったか。

おちついた、暗い色の絵の具。
ブルー系だと思っていると、まるい絵のふちには赤い色がのぞいている。
赤い色の上に青をのせて紫が表されているのだろうか?

静かな夜の場面が続きます。
動くものがないようにみえて、しだいに、
月がでて、風、さざなみ、もやもたちます。
だんだん朝が近づいてくる。

瀬田さんの訳もみました。

「やまが くろぐろと しずもる。」

しずまる、じゃないんだ。

「おーるのおと、しぶき、
 みおをひいて・・・・・・」
(「みお」の上には、「、、」がついています)

みお、ってなに?
絵をみたら、ボートが水を進むときの跡というか、そういうものかなと思った。
調べてみたら、やはり、そういう感じ。(参照 講談社カラー版日本語大辞典)


そういえば「澪つくし」っていう言葉、ありますね。「身を尽くし」とかけているとか。
こちらの澪は、水の跡じゃなくて、水路のことみたいだった。
みおつくしは「澪の串」から来ていると。(参照 講談社カラー版日本語大辞典)
そうか、みお 「の」 くし なんだ。
「つ」って。

じゃあ、「中つ国」の「つ」というのも、そういう言い方なんだな…。(今頃)


話がそれたけど、
「やまとみずうみが みどりになった。」
のところの絵の色、とってもきれい。


最後のページの解説をみたら、
「この絵本「よあけ」のモチーフは、唐の詩人柳宗元の詩「漁翁」によっています。」
とありました。
東洋の世界が元になっているんですね。

「お父さんのラッパばなし」
瀬田貞二 著/堀内誠一 画
福音館書店



瀬田さんの経歴なんかでよくこの本のタイトルを見る。読んでみた。

ラッパばなし、というのは、ほらばなしのことだった。
お父さんが子どもたちに話してきかせるお話、昔世界中をめぐっていろんな冒険をしたんだということのお話のこと。
もちろん、そんなにたくさん冒険できるわけでなく、うそだろうとはわかるけど、
子どもたちがわくわくして聞いて、お父さんが話し出してくれるのを待っている。
カナダやインドや、オーストラリアにいって、いろんな冒険をしたこと。

話の中のお父さんは、知恵でも勝り、運動もできるし(できすぎ?)、嫌な人をやりこめたり気持ちを変えさせることもできる。
何でもできてかっこよすぎかも。
ほら話なので、何でもありの世界だから、いいか。

瀬田さんの訳は今いろいろ読んでいる途中で、いいなあと思うけど、
創作は、これを読んだくらいくらいかな。
『航路をひらいた人々』は歴史を材料にしているので、いわゆる創作物語とは違うし。)

面白いけど、ほらばなしの前後の、(現在の)父子の場面が絵に描いたよう。
末っ子の男の子が「もとちゃん」というんだけど、末の子はもとちゃんという名前でした、とか説明もないのが唐突で、また何度も何度も「もとちゃんが」とでてくるのを読んでると、違和感を覚えた。
お姉さんも、「~わ」「でしょう」的な言葉遣いをするし、姉弟全員良い子だし、個人的にいうとちょっとカユいかなぁ。。

堀内誠一さんの絵は、若いころの(ほら話の中の)「お父さん」の絵ハンサムですね。

第八話「指輪をもらった時計像」のハインリヒ王子とマチルダ姫の絵が、好き。他の絵と雰囲気が違う。
西洋風で、ちょっと版画みたいな感じになってて、違うかもしれないけど、どこかハワード・パイルの絵を思い出した。それに、見つめ合う二人の絵が、お話のせつなさを表している感じ。

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