ゆきて帰りし道で

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絵本 「ねっこぼっこ」


「ねっこぼっこ」
ジビュレ・フォン・オルファース 作/生野幸吉 訳
福武書店



このあいだ秦理絵子さんの訳のを読んだ、「ねっこぼっこ」(平凡社刊)
生野幸吉さんの訳の方のです!

並べてくらべたわけではないです。
前のはもうだいぶ忘れています…。以下の感想でも思い違いなどあるかもしれません。

この訳は、とてもリズム感や語感がいいと思いました。

くさや、いろんなむしたちも
  もう、まるでおおよろこびだ、
    いつまでも、いつまでも
 夏だったら、いいのになあ!

 
表紙の、「ねっこぼっこ」という文字のデザインが風変わりでかわいい。
蔦がくねくねっとまるまってるような。
(少し和風でもあるような感じもしますね。お相撲の番付(?)とか歌舞伎の文字にも似ていそう)

中の文章の文字、
手書きふうフォントみたいなかたちで、いいですね。
平凡社のほうのは、太い明朝体みたいな形だったと思う。

生野さんの解説も読みたかったので、読めてよかったです。

生野さんの解説の中には、(初版年は)1907年と書いてあった。
秦理絵子さんの訳の平凡社のほうには1906年とあったように思うんだけど…?

「Fubutake Publishing」
と書いてあったのにびっくり。
「ふぶたけ」なの? 「ふくたけ」だとおもってた。

(追記)
関連記事:
ハインリッヒ・ホフマンの『ぼうぼうあたま』

「ねっこぼっこ」
ジビュレ・フォン・オルファース 作/秦 理絵子 訳
平凡社



『根っこのこどもたち 目をさます』のところで書いた、
『ねっこぼっこ』です。
『根っこのこどもたち 目をさます』は、詳しくは忘れたけれど、
文章は長かったと思う。

こちら『ねっこぼっこ』は、短くて、詩のような響きでつづられ、
そして、『森のおひめさま』のところで書いたようにように字が大きい。(原著ではどうなっているかわからないけれど)
でも、たぶん『森のおひめさま』で感じたほど字は大きくないと思う。(思い出しながら書いている)
あのときは、くろぐろとした字にびっくりしたから。

それはともかく、
『根っこのこどもたち 目をさます』は、オルファースではなく他の人の文章だった。
オルファースが文を残しているのに、なぜ他の人が文を書いたのだろう。
石井桃子さんの訳で出版されたとき、オルファースじゃなくて、そちらの人の方だったのはなぜだろう。

『根っこのこどもたち 目をさます』のところを読み返し、そこで紹介した、「児童文学書評」のサイトをもう一度読んでみた。

あ、そうか、日本では福武書店から先に『ねっこぼっこ』が出ていたんだ。
フィッシュの文のほうは、アメリカで英訳出版されたもの、ということだ。それを邦訳したということだな。
対し、『ねっこぼっこ』はオリジナル(ドイツ語?)からの訳ということらしい。




ヴァルター・シェルフという人の
「『ねっこぼっこ』とジビュレ・フォン・オルファース」
という解説がついていたのが、良かったです。
『根っこのこどもたち 目をさます』にも、オルファースが修道女ということなど、少し解説はついていたけれど。

この解説の中でひとつ、訳文の間違いか、誤植ではないかと思うところがあった。
「続く4枚目の絵は、かわいらしい、でも様式化されすぎてはいないユーゲント様式」
の、「続く4枚目の絵は」、のところが、「続く4枚の絵は」ではないだろうか?
4枚目の絵は、もう解説されているし、ユーゲント様式の、草花の窓枠になった絵は4枚あるから。

クライドルフの名前が挙がっていた。
「オルファースがクライドルフ、あるいはテオバルト・ケルナーの影響をどのくらい受けたのか、詮索するのはあまり意味がありません。クライドルフの『花のメルヘン』は1898年に、『ねむる木々たち』は1901年に出版されていますが、オルファースも当のクライドルフも、おそらく新鮮な息吹を発するイギリスのいくつかの絵本から刺激を受けたのであろうと思われます。それらの絵本は多くの土地での展示会で見られたばかりではなく、ドイツの家庭においては原版のかたちで、私たちが考えるよりもずっと広まっていました。」

ケルナーというひとはしらなかった。
クライドルフは、『花のメルヘン』読みました。『ねむる木々たち』というのもあるんだな。
(参考:HPの『花のメルヘン』の感想


(追記)
生野幸吉さん訳のほうの「ねっこぼっこ」、読みました。

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